一つは、朝鮮半島の工芸品研究家としての顔。
そして、もう一つは林業の技術者としての顔。
巧が朝鮮人同僚たちの何気ない会話から、
ヒントを得たという「露天埋蔵法」は、
当時としては画期的な発見でした。
また養苗に関する論文を発表したり、
講演をしたりもしています。
「学者たりうる人物であった」と評する、
林業関係者もいます。
資料館には、苗を育てる巧のジオラマ
(左側、しゃがんでいる人が巧です)の横に、
巧が実際に朝鮮半島で植えた松の木が
伐り出され、展示してあります。
太いものは一抱えほどもあり、
年輪を見せているものは樹齢80年ほど、
直径が50センチ近くあります。
巧亡き後も着々と根を張り、枝葉をひろげ、
堂々たる大樹に成長していました。
朝鮮半島には今も、
巧ゆかりの木々が沢山あるはずです。
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