青花辰砂蓮花文壷(せいかしんしゃれんかもんつぼ)
という名前がついています。
伯教が見出したこの壷に、
柳宗悦が出会ったのは1920(大正9)年、
二度目の朝鮮旅行の折。
「凡てが夢見るようである」と記された、
その時の感動も、
朝鮮民族美術館設立の
大きな原動力となったようです。
巧もインド人の陶芸家シングと、
この壷をはさんで、
記念写真をとっています。
シングの他にも、柳から
「是非この壷を見るように」
とすすめられた者は、
少なくないようです。
巧の日記にも、この壷が登場します。
特に1922(大正11)年8月6日には、
蓮の花をこの壷に挿してみたら、
「部屋中が輝いた」。
そして、まだ幼かった伯教の長女が、
「お嬢さんのようだと評した」。
今や李朝陶磁器の
最高傑作の一つに数えられるようになった、
この壷の本物は現在、
大阪市立東洋陶磁美術館にあります。
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