平成29年度事業予定

平成29年度 休館日
2017年
 4月 3(月)、10(月)、17(月)、24(月)、28(木)
 5月 1(月)、8(月)、15(月)、22(月)、29(月)、31(水)
 6月 5(月)、12(月)、19(月)、26(月)、30(金)
 7月 3(月)、10(月)、18(火)、24(月)、31(月)
 8月 7(月)、14(月)、21(月)、28(月)、31(木)
 9月 4(月)、11(月)、19(火)、25(月)、29(金)
10月 2(月)、10(火)、16(月)、23(月)、30(月)、31(火)
11月 6(月)、13(月)、20(月)、27(月)、30(木)
12月 4(月)、11(月)、18(月)、25(月)、28(木)~31(日)
2018年
 1月 1(月)~4(木)、9(火)、15(月)、22(月)、29(月)、31(水)
 2月 5(月)、13(火)、19(月)、26(月)、28(水)
 3月 5(月)、12(月)、19(月)、26(月)、30(金)

2009年5月24日日曜日

小説「白磁の人」の映画製作について

 日本と韓国はかつて、歴史的、文化的交流が最も豊かで一衣帯水の間柄でした。歴史を省み、未来を見据えるためにも文化的交流は大切です。韓国の地に眠る浅川巧は、これまで韓国の人々に愛されてきました。彼が日韓の交流に果たした役割は余りにも大きいものがあります。 浅川巧の人となりや、その尊い業績を描いた江宮隆之氏の小説「白磁の人」を映画化するため平成17年(2005)1月25日に、”小説「白磁の人」映画製作委員会”が設立されました。

原作「白磁の人」について
 日本の植民地統治下の朝鮮に渡り、朝鮮にこよなく愛され、朝鮮の土となった伝説の人・浅川巧(たくみ)の生涯を描いた伝記小説です。著者は山梨県出身の江宮隆之、小説の初版は平成6年(1994)に河出書房新社から発行されました。
 山梨県北杜市高根町出身の浅川巧は、大正3年、朝鮮半島に渡り、林業技師として荒廃した山々の緑化に奔走するとともに、兄の伯教(のりたか)と「白磁」をはじめとした陶磁器や工芸品の中に民衆の美を見出し、優れた文化として日本に紹介しました。  日本の植民地支配の時代にあって、人々に同じ人間として接し、現地の言葉で語り合い、その地の風俗や文化を愛し、人々に敬愛されながらも、昭和6年に40才の若さで朝鮮の土となりました。今も、ソウル市忘憂里(マンウリ)にある墓は、巧を慕う彼の地の人々によって守られ続けています。
■タイトル: 『白磁の人』 
■著者: 江宮隆之
■発行: 1994年5月
■出版 河出書房新社(ISBN978-4-309-00908-7)  
 第8回中村星湖賞(平成6年度)を受賞、 全国学校図書館協議会が選ぶ「青少年読書感想文全国コンクール」の全国学校図書館協議会の課題図書に選ばれる、 全国学校図書館協議会選定図書に選ばれる。

2009年5月23日土曜日

北杜市浅川伯教・巧兄弟資料館の観覧案内

お近くにお出かけの際はぜひお立ち寄りください。

休館日
毎週月曜日(休日の場合その翌日)・年末年始(12/28~1/4)、
毎月最終平日(館内整理日)

開館時間
午前10時~午後5時まで(入館は4時30分まで)
入館料
大人(高校生以上)200円、小中学生100円(20名以上団体割引有)
所在地
〒408-0002 山梨県北杜市高根町村山北割3315 
北杜市高根生涯学習センター内 
エリアマップ

Tel
0551-42-1447
Fax
0551-47-4784
メールアドレス
asakawa-muse@city.hokuto.yamanashi.jp
交通アクセス
鉄道利用の場合: JR中央本線長坂駅・JR小海線清里駅より北杜市民バス利用北杜市役所高根総合支所より徒歩5分、JR中央本線小淵沢駅よりタクシー利用25分、
車の場合: 中央自動車道長坂インターまたは須玉インターから15分
        ※カーナビをご利用の場合は、Fax番号「0551-47-4784」、あるいは施設名「たかね図書館」で検索
●目印は、ローソン山梨高根町店の向いです。
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2009年5月22日金曜日

浅川兄弟って、こんな兄弟です!

 浅川伯教(のりたか)と浅川巧(たくみ)は、明治時代半ばに今の山梨県北杜市高根町に生まれ、朝鮮工芸の美に魅せられ、研究した兄弟です。

当時の朝鮮半島と日本は、日本が朝鮮半島を統治するという、不幸な関係にありました。そんな時代の中で、兄の伯教は、朝鮮陶磁史の研究にその生涯を捧げ、弟の巧は朝鮮の山と工芸、そして朝鮮の人々を敬愛したことで、人々の心の中に深く刻まれ、今にいたるまで語り継がれることになりました。

伯教は、朝鮮半島に渡ったのは、1913(大正2)年。学生時代に甲府で、朝鮮の美術に魅了されたのがきっかけでした。
半島では700箇所にも及ぶ朝鮮王朝陶磁の窯跡を調査しました。陶磁器の時代的変遷を明らかにした研究成果は、朝鮮陶磁史の基本文献としてまとめられ今日に至っています。 
 
弟の巧は、兄を慕って翌年に半島に渡り、林業技師として荒廃した山々の緑化に奔走します。そのかたわら、兄とともに「朝鮮白磁」をはじめとした朝鮮陶磁の研究に心酔し、名著『朝鮮陶磁名考』を書き残しただけでなく、木工芸品の中に民衆芸術の美を見出し、優れた文化として日本に紹介しました。
兄弟の考え方は、柳宗悦の民芸運動の理念に大きな影響をあたえています。

日本の植民地支配の時代にあって、朝鮮語を自ら学び、話し、朝鮮民族の文化を尊重し、人々と奢ることのない交流をもった巧は、1931(昭和6)年、40歳の若さで朝鮮の土となりましたが、今もソウル市忘憂里(マンウリ)にある墓は、彼を慕う韓国の人々によって守られ続けています。