資料館の前からは、
瑞牆山(みずがきやま)も少し見えます。
標高2230メートルの岩山で、
空海開山伝説もある信仰の山です。
この山も深田久弥の「百名山」の一つです。
伯教さんは、甲府の師範学校に、
二度目の受験でようやく合格しました。
しかし、その頃、本当になりたかったのは彫刻家。
教師になってからも、
ずっと彫刻の修行を続けていました。
奥さんのたかよさんによると、
家に児童教員の参考書などは、
一冊もなかったそうです。
そんな「伯教先生」ですが、
同僚や教え子の評判は決して悪くありません。
やはり「名人肌」だけに、
手抜きはできなかったのでしょう。
京城時代の教え子の中には、
作曲家の古賀政男氏がいます。
0 件のコメント:
コメントを投稿