巧の日記とデスマスクです。
保存の都合上、展示してあるのは複製ですが、
精巧に再現されています。
日記はA4サイズ位の400字詰原稿用紙に黒インクで書かれ、
二つ折りにして月別にとじてあります。
日記の文章は活字で読むと抑制のきいた印象を受けますが、
実際は勢いのある文字で、流れるように書かれています。
また何箇所も修正のあとがあったりしますので、
やはり思いのままを筆にまかせてつづったものでしょう。
現存している日記は1922(大正11)年の1月から12月までと、
翌1923(大正12)年の7月と9月のものです。
この時、巧は30~32歳。
前年に最初の妻みつえに先立たれ、
林業試験場の雇員から技手に昇進する一方、
兄伯教や柳宗悦らとともに、
1924(大正13)年の朝鮮民族美術館設立に向け、
奔走していた時期にあたります。
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