巧のデスマスクは兄・伯教が書いたものです。
A5版ほどの大きさの紙に濃い目の鉛筆を使い、
短時間で仕上げたと思われます。
巧亡き後、日記とデスマスクは
伯教が保管していましたが、
戦後まもなく金成鎮(キム・ソンジン)氏に
託されることとなりました。
伯教と金氏は1945(昭和20)年9月、
ある骨董品店で出会いました。
初対面にも関わらず話がはずみ、
伯教の家で、伯教の眼にかなった陶磁器を
譲ることになりました。
翌日、譲り受ける陶磁器の話がまとまり、
金氏が帰ろうとすると、
奥の部屋から伯教は、
日記とデスマスクを持ってきました。
「これをお渡しします」
以前から巧のことを尊敬していたという金氏に、
何か感ずるものがあったのでしょう。
伯教は陶磁器のみならず、人を見る目も確かでした。
金氏は日記とデスマスクを大事に守ってくれました。
1950(昭和25)年に始まった朝鮮戦争の時も、
家財道具は打ち捨てても、
背中にしょって避難してくれたほどです。
そして、その大事な宝物を1996(平成8)年には、
兄弟の生まれ故郷である当時の高根町(現・北杜市)に、
寄贈してくださいました。
そのことが当資料館設立の大きなきっかけとなったことは、
言うまでもありません。
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