右が伯教、左が通訳兼道案内役をつとめた
池順鐸(チ・スンテク)です。
後に韓国陶磁器界の巨匠となる人物です。
伯教が朝鮮半島の窯跡調査を開始したのは、
1922(大正11)年、38歳の時でした。
この年は、巧が日記を書き始めた年でもあります。
しばらくは手弁当での活動でしたが、
44歳の時に啓明会という団体から
資金援助が得られるようになったせいか、
翌年から3年間で、朝鮮半島全土にわたり、
678箇所も調べています。
窯跡から窯跡へと飛び回る姿を、
友人たちは「鉄砲玉」と呼んだそうです。
ご家族、特に妻・たかよの
理解と協力がなくては、
まず不可能だったでしょう。
左がたかよ、右はもちろん伯教です。