11月20日(水)は山梨県の県民の日です。
そのため浅川伯教・巧兄弟資料館の観覧料はどなたでも無料になります。
ぜひこの機会にお越しください。
★休館日はブログ内の最新休館日カレンダーでご確認ください
北杜市役所内の当館公式HP
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北杜市政20周年の記念事業として浅川兄弟のゆかりの地を歩く『浅川ウォーク』が10月19日(土)に開催されました。
県内外の13名の参加者とともに、浅川伯教・巧兄弟の生誕地や墓所などを巡る4.7kmを2時間40分をかけて歩きました。
9時に資料館を出発し、まずは五町田にある兄弟の生誕地跡と近くにある農村公園入口に平成3年に建立された『浅川伯教・巧兄弟生誕の記念碑』を見に行き、兄弟が育ちながら見ただろう景色を少しでも共有していただけたらと思いました。
その記念碑の裏面には伯教の句『秋雨の漏りのかなしき庵なれど 空も我がもの海も我がもの』(読み::あきさめのもりの さびしきいおなれど そらもわがもの うみもわがもの)が刻まれています。
歌意としては「1949年に長女のいる千葉県黒砂に転居し、雨漏りしそうな家だが、自分の家をもてたことで、大きな空も広い海もすべて自分のもののように感じる」という心情を詠んだもの
つづいて五町田共同墓地内には父親 如作の墓とそのとなりに建立した十字架が刻まれた浅川家墓石側面にも伯教の句が刻まれています。
『夜も寿から 遠く思えば 虫しくれ』 歌意は「一晩中寝見れなくて、はるか遠い故郷のことを思い起こしていると、多くの虫の音がまるでしぐれのように、心に響いてくるようだ」です。
墓石の横には昭和52(1977)年春彼岸に浅川家親族一同によって建てられた墓誌には、巧や先妻 みつえ(1921年没)の名とともに母 けい(1937年没)、妻 咲(1976年10月没)と長女 園絵(1976年11月没)の名前も刻まれています。巧の戒名は文徳院天巧道智居士。
つぎに墓地の隣りにある熱田神社境内にある浅川兄弟の祖父である蕪庵六世・四友の句碑があります。
それは『不断聞く 聲は離れて 初烏』 (歌意:元旦にはいつも聞く烏の声も清々しく聞こえる)と刻まれています。
さらに浅川兄弟の曽祖父である小尾兵之進は蕪庵三世の守彦であり、ここにある墓石と句碑は県の文化財となっており、今でも子孫の方により、きれいに守られています。
その後、浅川家の菩提寺である泉龍寺を拝観してから資料館へ戻り、展示室をご自由にゆっくり見学していただきました。
当日は雨の天気予報にかかわらず、午前中は晴れて、ウォーキングには最適でした。
今回のウォークで浅川兄弟が確かに暮らしていたその息遣いを少しでも感じ取っていただけたのであれば幸いです。
ご参加くださった方、ありがとうございました。
このように浅川兄弟の祖父、曽祖父とも蕪庵という俳諧結社の指導者、代表者であり、その血統を受け継いだかのように伯教も時を超えて心に響くたくさんの句を詠んでいます。
伯教の句をまとめ、考察した図録が当資料館で刊行し、販売しております
浅川伯教 『短歌 五○首抄』 600円 (税込)58ページ
10月19日(土)、20日(日)は資料館の駐車場全面でイベント開催があるので、
使用できません。
臨時駐車場へは、当日の誘導員や誘導看板に従ってお越しください。
★臨時駐車場ではバスなど大きな車は入ることができませんので、
この2日間はバスでお越しになる団体のご予約は承れません。
大変ご面倒をおかけして申し訳ありません。
当日お越しになって、ご不明な場合は、お電話で誘導します
0551−42−1447
2024年9月14日 講演会をさせていただきました館長・比奈田善彦です
先日は講演会にて、私が浅川兄弟に関わった28年間を振り返りながら、浅川兄弟の顕彰活動を始めたときから浅川兄弟の生き様に感銘を受け、後世につなげていくことに邁進した私の尊敬する日本人5名、韓国人7名のあわせて下記の12名を紹介させていただきました。
高崎宗司、手塚洋一、大柴恒雄、清水九規、長坂紘司
河正雄、金成鎮、趙在明、趙萬済、金炳允、鄭好蓮、李淳柱 (敬称略)
1996年。伯教より巧の日記とデスマスクを預かり、のちの朝鮮戦争中も大事に守り抜いた金成鎮さんから当時の高根町役場への寄贈がこの資料館建設の礎となりました。
97年には巧が出張でよく行っていた現在の国立樹木園のある抱川(ポチョン)市との信頼関係の構築開始。
2001年「浅川伯教・巧兄弟資料館」開館。 2003年抱川市との姉妹都市締結が実現。
この大きな流れがあってこそ、今の資料館があり、12名の方々のご尽力があってこそと感謝申し上げ、この機会にそれぞれのご貢献を紹介させていただきました。
遠くは京都、岐阜、東京、神奈川、埼玉からもお越しになった方がいらっしゃいました。
ご参加された皆様には感謝申し上げます。ありがとうございました。
9月16日 館長:比奈田善彦
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<資料館よりお知らせ>
11月10日13:30〜15:00 第3回『浅川兄弟資料館と浅川研究の到達点』と題して
前館長:澤谷滋子氏の講演会もあります。
澤谷氏は館長を務めながら、学芸員・研究者として浅川兄弟の研究では成果をたくさん残しました。兄弟の学習まんがの原作をすべて事実を紡いで完成させ、研究者だからこその功績は北杜市の財産となりました。
10月10日から予約開始。先着30名 ご興味ある方はぜひお申し込みください。
開館日にお電話で 0551−42−1447 10:00〜17:00
北杜市 市制20周年記念事業として
企画展 『浅川兄弟の精神(こころ)をつなぐ〜兄弟を伝えた人々』
が6月9日から11月17日(日)まで開催中です
民族・文化などの違いを乗り越え、人としての正しいあり方を示した浅川兄弟の精神を後世まで伝えていこうと奮闘してきた韓国・日本の人々の功績をゆかりの品々とともに紹介しています。
浅川兄弟の顕彰活動の礎を築いてくださった韓日両国の貢献者たち12名を紹介するコーナーを設けました。
浅川兄弟の生き方に感激し、その後顕彰活動に邁進し、その遺志をつなげることに尽力された方々です。
常設展の入館料でご覧いただけます
上段 左から 河正雄(ハ・ジョンウン)さん 金炳允(キム・ビョンユン)さん
大柴恒雄さん 趙在明(チョウ・ジェミョン)さん 金成鎮(キム・ソンジン)さん
鄭好蓮(チョン・ホヨン)さん
下段 左から 趙萬濟(チョウ・マンジェ)さん 高崎宗司さん 清水九規(ちかみ)さん
手塚洋一さん 長坂紘司さん 李淳柱(イ・スンジュ)さん
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関連事業として3名の講師による講演会をおこないます
浅川兄弟の功績や兄弟を通じた日韓の交流など、現在の視点で浅川兄弟の存在意義などをお話いただきます
場所:浅川伯教・巧兄弟資料館 2階視聴覚室 定員 30名 予約先着順
開館日の電話にて要予約 0551ー42ー1447 (10:00〜17:00)
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第1回 7月20日(土) 10:30〜11:30
河 正雄 『露堂々と生きる〜浅川兄弟と私〜』 (光州市美術館名誉館長)
(上記の企画展で顕彰している12名の中のおひとりです)
予約開始日: 6月20日(木)
第2回 9月14日(土) 13:30〜14:30
比奈田 善彦 『浅川兄弟を伝えた日韓の人々』 (浅川兄弟資料館館長)
予約開始日: 8月15日(木) 10:00〜
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第3回 11月10日(日) 13:30〜15:00
澤谷 滋子 『浅川資料館と浅川研究の到達点』 (浅川兄弟資料館元館長)
(学習まんが『浅川伯教と巧 十四冊の日記帳』の原作者)
予約開始日: 10月10日(木) 10:00〜
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市民バスの時刻表は令和6年度も前年とは変更はありません。
最寄りの駅は「長坂駅」ですが、バスは「日野春駅」、急行などもとまる「小淵沢駅」も通る路線もあります。
「長坂駅」前には通常ですとタクシーは2,3台待機しています。
約10分で1500円~2000円くらいです。
最寄りのバス停は「高根総合支所」で当館まで歩いて5~10分です。
訂正:上段の17:22発 日野春駅17:56着は
1号車レッドラインではなく0号車イエローラインの誤りです
NHK ラジオ第2放送 <宗教の時間>では、4月~9月まで「柳宗悦」が取り上げられることになりました。
その中で特に第3回、第6回では浅川兄弟との出会いの重要さや、他ではなかなか語られてこなかった巧氏の娘である園絵さんにも言及されています。
また第4回では浅川兄弟との縁で知り合った甲府の小宮山清三邸を訪ねた際に偶然見つけた「木喰仏」との出会いなども取り上げられています。
『柳宗悦 美は人間を救いうるのか(上)』 解説:若松英輔
ご興味のある方はぜひお聞きください。
テキストは3月25日より発売ラジオ第2放送 第2日曜 午前8:30~9:00 ・ 再放送 第3日曜日 午後6:30~9:00
第1回 「目には見えないもの」 放送 4月14日 ・ 再放送 4月21日
第2回 「神思うゆえにわれあり」 放送 5月12日 ・ 再放送 5月19日
第3回 「朝鮮の友へ 力の時代のなかで」 放送 6月9日 ・ 再放送 6月16日
第4回 「木喰仏に見出されて」 放送 7月14日 ・ 再放送 7月21日
第5回 「民藝の誕生」 放送 8月11日 ・ 再放送 8月18日
第6回 「日本民藝館 美のさなかに立つ」 放送9月8日 ・ 再放送 9月15日
※インターネットアプリ「らじるらじる」ではいつでもどこでも聴くことができます。
今年は浅川伯教が亡くなってから60年がたち、巧が亡くなって93年経ちました。
兄弟にゆかりのある方々も少なくなってきています。
そんな時代になってきたので、さまざまな分野でご活躍の方々が浅川兄弟について
語っていただく映像を今、少しずつ録画し集めています。
皆さまには快くご協力いただき深く感謝しています。
それぞれの分野からのアプローチで、兄弟を語って頂くことで、兄弟の実像が浮かび
上がってくるのではないかと思います。
それらの記録は資料館の大切な「映像オーラルヒストリー」となります。
そして編集して展示室でもご覧いただけるようにする予定です。
先日は東京へ、東京藝術大学の片山まび教授と日本民藝館の杉山享司常務理事に
お忙しい中お時間を作っていただき、お話をお伺いいたしました。
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<片山まび 教授>東京藝術大学 美術学部 美術学科工芸史教授 日本・東洋美術史
大学時代に朝鮮陶芸史に興味を持ち、ソウル大学でも学び、その中で伯教の旧窯跡研究を
高く評価されています。
伯教の朝鮮の人々や文化をみつめる眼について語っていただきました。
<日本民藝館 杉山享司 常任理事>
長年日本民藝館において学芸員としてもご活躍された方です。
浅川兄弟が柳宗悦氏へ与えた影響の大きさや、また木喰仏との接点に兄弟がいたことなど、
柳宗悦氏、浅川伯教・巧との関わりの大きさまた人間的な絆の深さなどを語っていただけ
ました。
それは巧が亡きあと、未亡人となった咲さん、娘の園絵さんが引き上げ後、日本民藝館に
居住しながら亡くなるまで日本民藝館に尽くしたことは巧と柳宗悦氏との絆の深さを表して
いるというお話でした。
●今年は1923年に開館した「朝鮮民族美術館」100年目の年にあたり、今夏には
日本民藝館でも柳宗悦氏が持ち帰った朝鮮民族美術館旧蔵品100点から選ばれた
当時の朝鮮半島の品々による企画展があるそうです。それらのもつ美しさは柳宗悦氏
浅川兄弟の3人の美学を感じ取れるものだと思います。
是非行かれてみてはいかがでしょうか?
( 日本民藝館企画展 会期2024年6月15日~8月25日)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今までにインタビューにご協力いただいた方々は、河正雄さん、小説「白磁の人」著者
の江宮隆之さん、児童文学作家で小説「かけはし~慈しみの人・浅川巧」著者の
中川なをみさんです。
今後の予定は山梨英和大学教授・李尚珍(イ・サンジン)さん、写真家 藤本 巧さん。
今後もおたずねする方を増やしていきたいと思います。
浅川伯教は1964年(昭和9年)1月14日、80歳で逝去しました。
生誕140年、没後60年になります。
1945年の敗戦後、GHQの要請もあり、また本人も「朝鮮にいられるだけいたい」と娘さんにも話していたそうで、それまで蒐集、研究していた朝鮮半島の民芸品や古陶磁の分類や整理のための仕事に1年間を費やし、家族より遅く1946年に帰国しました。
その際、伯教は私蔵の工芸品3000余点と陶片30箱を民俗博物館へ寄贈し、それらはその後、韓国国立中央博物館に受け継がれ、韓国藝術を知るなかでとても重要な資料となっています。
お墓は東京都渋谷区広尾にある臨済宗妙心寺派のお寺「東北寺」にあります。
韓国で幼く失った息子さんも墓誌に刻まれています。
現在では、伯教の2人の娘さんである『牧栄さん、美恵子さん』のお子様たち(伯教のお孫さんにあたる)は千葉、東京でお元気にお暮しになっています。
このお墓には、伯教の家族の他にも、巧の奥様である咲さん、娘の園絵さんも眠っています。
咲さん、園絵さんは敗戦後の1945年帰国後、1947年から柳宗悦氏のはからいで日本民藝館で28年にわたり居住しながら働いていました。園絵さんは柳宗悦氏の右腕として信頼熱く仕事をされていたそうです。
先日2月5日に、地元の顕彰団体『浅川伯教・巧兄弟を偲ぶ会』の代表者さんがお墓参りに行かれたというので、写真をお借りしました。
墓誌に刻まれた文字を記載いたします
浅川 寧悦(ヤスヨシ) 昭和10年 9月 没 享年 9歳 <伯教の次男>
浅川 伯教 昭和39年 1月14日没 享年 81歳
浅川 二四夫(ニシオ) 昭和26年 4月28日没 享年 30歳 <伯教の長男>
浅川 たかよ 昭和45年 1月17日没 享年 84歳 <伯教の妻>
浅川 さく 昭和51年 10月19日 享年 82歳 <巧の妻>
浅川 園絵 昭和51年 11月13日 享年 59年 <巧の娘>
※墓誌でもわかるように園絵さんはそれまでお元気だったのに、母親の『さく』さんを亡くしたわずか1か月以内に後を追うように亡くなってしまいました。