1931年4月2日、巧は急性肺炎でこの世を去りました。40歳という若さでした。
柳宗悦が葬儀の出棺のときの様子を回想して語っています。
「巧の死が近くの村々に知らせた時、人々は、群れをなして別れを告げに集つた。横たはる彼の亡躯を見て、慟哭した鮮人がどんなに多かつた事か。日鮮の反目が暗く流れてゐる朝鮮の現状では見られない場面であった。棺は申し出によって悉く鮮人に担がれて、清涼里から里門里の岡へと運ばれた。余り申し出の人が多く応じきれない程であつた。その日は激しい雨であつた。…」
あまりにも突然の死は、巧を知る誰もが悼み悲しみにくれました。
昨年は映画「道~白磁の人」の上映もあり、より多くの人に浅川巧のことを知ってもらうことが出来ました。ご来館者中には「韓国のお墓にお参りして来ました」とお話してくださる方も多く、iPadを見せながら説明してくれた方もいました。
さらに多くの人たちに、巧の「想い」が伝わることを願っています。