展示品の撮影をしました。
シャッターの先には、青花辰砂蓮華文壺の「写し」。
かつて伯教さんが蒐集した物のなかのひとつで、
実物は大阪市立東洋陶磁美術館に収蔵されています。
大壺に充分な余白をもって描かれた満開の蓮華、
左右にゆったりと伸びる茎と葉。
李朝白磁の最高傑作のひとつと云われ、
高い評価を受けています。
この壺を伯教さんが所有していた頃、
巧さんは以下のような日記を綴りました。
『貞洞(伯教さんの家)で遊んだ。
(中略)
蓮の花を例の蓮華染付の壺に挿したら美しかつた。
部屋中に輝いた。
牧栄(伯教さんの長女)はお嬢さんの様だと評した。
子供の実感は当たつてゐる。』
また柳宗悦も自身の日記で、
この壺について触れると同時に、
朝鮮の美術品の散逸を惜しんで
朝鮮民族美術館を設立したい旨を述べました。
柳の勧めでこの壺を見学したインドの陶芸家シングは、
後の朝鮮民族美術館設立の際に寄付をしています。
多くの人を巻き込み実現した
朝鮮民族美術館の設立において
重要な役割を果たした、
まさにアイドルのような作品と言えるでしょう。