「染付秋草文面取壷」などと呼ばれている、
高さ13cmほどの小さな壷ですが・・・
浅川兄弟と柳宗悦を結びつけ、
李朝の工芸品に脚光をあてるきっかけをつくり、
さらには後に展開される民藝運動の
原点ともなるという、
大きな役割を果たしました。
元々は瓢型の瓶として作られたようですが、
何らかの理由で上半分が切り落とされ、
このような形になったと思われます。
この壷は、1914(大正3)年、
京城(現・韓国ソウル市)で小学校の教師をしながら
彫刻の修行もしていた30歳の伯教が、
憧れのロダンの作品を柳宗悦が預かっていると知り、
千葉の我孫子にあった柳宅を訪れた際、
手土産としたものです。
二人はこの時が初対面でした。
一方、23歳の巧は、
この年に秋田の営林署を辞め、
朝鮮半島に渡っています。
柳と出会うのは、翌年暮れのことになります。
この壷に魅せられたことで、
柳は李朝の焼き物への関心を、
一気に強めることとなりました。
そして次第に朝鮮半島との関わりを、
深めていくことなるのです。
資料館に展示してあるものは、
本物に似せた「写し」ですが、
雰囲気は充分、感じ取っていただけると思います。
本物は東京・駒場の日本民藝館にあります。
0 件のコメント:
コメントを投稿