北杜市政20周年の記念事業として浅川兄弟のゆかりの地を歩く『浅川ウォーク』が10月19日(土)に開催されました。
県内外の13名の参加者とともに、浅川伯教・巧兄弟の生誕地や墓所などを巡る4.7kmを2時間40分をかけて歩きました。
9時に資料館を出発し、まずは五町田にある兄弟の生誕地跡と近くにある農村公園入口に平成3年に建立された『浅川伯教・巧兄弟生誕の記念碑』を見に行き、兄弟が育ちながら見ただろう景色を少しでも共有していただけたらと思いました。
その記念碑の裏面には伯教の句『秋雨の漏りのかなしき庵なれど 空も我がもの海も我がもの』(読み::あきさめのもりの さびしきいおなれど そらもわがもの うみもわがもの)が刻まれています。
歌意としては「1949年に長女のいる千葉県黒砂に転居し、雨漏りしそうな家だが、自分の家をもてたことで、大きな空も広い海もすべて自分のもののように感じる」という心情を詠んだもの
つづいて五町田共同墓地内には父親 如作の墓とそのとなりに建立した十字架が刻まれた浅川家墓石側面にも伯教の句が刻まれています。
『夜も寿から 遠く思えば 虫しくれ』 歌意は「一晩中寝見れなくて、はるか遠い故郷のことを思い起こしていると、多くの虫の音がまるでしぐれのように、心に響いてくるようだ」です。
墓石の横には昭和52(1977)年春彼岸に浅川家親族一同によって建てられた墓誌には、巧や先妻 みつえ(1921年没)の名とともに母 けい(1937年没)、妻 咲(1976年10月没)と長女 園絵(1976年11月没)の名前も刻まれています。巧の戒名は文徳院天巧道智居士。
つぎに墓地の隣りにある熱田神社境内にある浅川兄弟の祖父である蕪庵六世・四友の句碑があります。
それは『不断聞く 聲は離れて 初烏』 (歌意:元旦にはいつも聞く烏の声も清々しく聞こえる)と刻まれています。
さらに浅川兄弟の曽祖父である小尾兵之進は蕪庵三世の守彦であり、ここにある墓石と句碑は県の文化財となっており、今でも子孫の方により、きれいに守られています。
その後、浅川家の菩提寺である泉龍寺を拝観してから資料館へ戻り、展示室をご自由にゆっくり見学していただきました。
当日は雨の天気予報にかかわらず、午前中は晴れて、ウォーキングには最適でした。
今回のウォークで浅川兄弟が確かに暮らしていたその息遣いを少しでも感じ取っていただけたのであれば幸いです。
ご参加くださった方、ありがとうございました。
このように浅川兄弟の祖父、曽祖父とも蕪庵という俳諧結社の指導者、代表者であり、その血統を受け継いだかのように伯教も時を超えて心に響くたくさんの句を詠んでいます。
伯教の句をまとめ、考察した図録が当資料館で刊行し、販売しております
浅川伯教 『短歌 五○首抄』 600円 (税込)58ページ