日本と韓国はかつて、歴史的、文化的交流が最も豊かで一衣帯水の間柄でした。歴史を省み、未来を見据えるためにも文化的交流は大切です。韓国の地に眠る浅川巧は、これまで韓国の人々に愛されてきました。彼が日韓の交流に果たした役割は余りにも大きいものがあります。 浅川巧の人となりや、その尊い業績を描いた江宮隆之氏の小説「白磁の人」を映画化するため平成17年(2005)1月25日に、”小説「白磁の人」映画製作委員会”が設立されました。
原作「白磁の人」について
日本の植民地統治下の朝鮮に渡り、朝鮮にこよなく愛され、朝鮮の土となった伝説の人・浅川巧(たくみ)の生涯を描いた伝記小説です。著者は山梨県出身の江宮隆之、小説の初版は平成6年(1994)に河出書房新社から発行されました。
山梨県北杜市高根町出身の浅川巧は、大正3年、朝鮮半島に渡り、林業技師として荒廃した山々の緑化に奔走するとともに、兄の伯教(のりたか)と「白磁」をはじめとした陶磁器や工芸品の中に民衆の美を見出し、優れた文化として日本に紹介しました。 日本の植民地支配の時代にあって、人々に同じ人間として接し、現地の言葉で語り合い、その地の風俗や文化を愛し、人々に敬愛されながらも、昭和6年に40才の若さで朝鮮の土となりました。今も、ソウル市忘憂里(マンウリ)にある墓は、巧を慕う彼の地の人々によって守られ続けています。
■タイトル: 『白磁の人』
■著者: 江宮隆之
■発行: 1994年5月
■出版 河出書房新社(ISBN978-4-309-00908-7)
第8回中村星湖賞(平成6年度)を受賞、 全国学校図書館協議会が選ぶ「青少年読書感想文全国コンクール」の全国学校図書館協議会の課題図書に選ばれる、 全国学校図書館協議会選定図書に選ばれる。
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北杜市役所内の当館公式HP
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出版物の紹介などもあります
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【開館時間】10:00~17:00(入館は16:30まで)
【観覧料】 大人210円 小中生100円
20名様以上の団体料金 大人100円 小中生50円
20名様以上の団体料金 大人100円 小中生50円
〒408-0002
山梨県北杜市高根町村山北割 3315
(ホクトシ タカネチョウ ムラヤマキタワリ)
電話:0551ー42ー1447
FAX: 0551ー47ー4784
2009年5月24日日曜日
2009年5月23日土曜日
北杜市浅川伯教・巧兄弟資料館の観覧案内
お近くにお出かけの際はぜひお立ち寄りください。
休館日
毎週月曜日(休日の場合その翌日)・年末年始(12/28~1/4)、
毎月最終平日(館内整理日)
開館時間
午前10時~午後5時まで(入館は4時30分まで)
入館料
大人(高校生以上)200円、小中学生100円(20名以上団体割引有)
所在地
〒408-0002 山梨県北杜市高根町村山北割3315
北杜市高根生涯学習センター内
≫エリアマップ
Tel
0551-42-1447
Fax
0551-47-4784
メールアドレス
asakawa-muse@city.hokuto.yamanashi.jp
交通アクセス
鉄道利用の場合: JR中央本線長坂駅・JR小海線清里駅より北杜市民バス利用、北杜市役所高根総合支所より徒歩5分、JR中央本線小淵沢駅よりタクシー利用25分、
車の場合: 中央自動車道長坂インターまたは須玉インターから15分
※カーナビをご利用の場合は、Fax番号「0551-47-4784」、あるいは施設名「たかね図書館」で検索
●目印は、ローソン山梨高根町店の向いです。
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休館日
毎週月曜日(休日の場合その翌日)・年末年始(12/28~1/4)、
毎月最終平日(館内整理日)
開館時間
午前10時~午後5時まで(入館は4時30分まで)
入館料
大人(高校生以上)200円、小中学生100円(20名以上団体割引有)
所在地
〒408-0002 山梨県北杜市高根町村山北割3315
北杜市高根生涯学習センター内
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Tel
0551-42-1447
Fax
0551-47-4784
メールアドレス
asakawa-muse@city.hokuto.yamanashi.jp
交通アクセス
鉄道利用の場合: JR中央本線長坂駅・JR小海線清里駅より北杜市民バス利用、北杜市役所高根総合支所より徒歩5分、JR中央本線小淵沢駅よりタクシー利用25分、
車の場合: 中央自動車道長坂インターまたは須玉インターから15分
※カーナビをご利用の場合は、Fax番号「0551-47-4784」、あるいは施設名「たかね図書館」で検索
●目印は、ローソン山梨高根町店の向いです。
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2009年5月22日金曜日
浅川兄弟って、こんな兄弟です!
浅川伯教(のりたか)と浅川巧(たくみ)は、明治時代半ばに今の山梨県北杜市高根町に生まれ、朝鮮工芸の美に魅せられ、研究した兄弟です。
当時の朝鮮半島と日本は、日本が朝鮮半島を統治するという、不幸な関係にありました。そんな時代の中で、兄の伯教は、朝鮮陶磁史の研究にその生涯を捧げ、弟の巧は朝鮮の山と工芸、そして朝鮮の人々を敬愛したことで、人々の心の中に深く刻まれ、今にいたるまで語り継がれることになりました。
伯教は、朝鮮半島に渡ったのは、1913(大正2)年。学生時代に甲府で、朝鮮の美術に魅了されたのがきっかけでした。
半島では700箇所にも及ぶ朝鮮王朝陶磁の窯跡を調査しました。陶磁器の時代的変遷を明らかにした研究成果は、朝鮮陶磁史の基本文献としてまとめられ今日に至っています。
弟の巧は、兄を慕って翌年に半島に渡り、林業技師として荒廃した山々の緑化に奔走します。そのかたわら、兄とともに「朝鮮白磁」をはじめとした朝鮮陶磁の研究に心酔し、名著『朝鮮陶磁名考』を書き残しただけでなく、木工芸品の中に民衆芸術の美を見出し、優れた文化として日本に紹介しました。
兄弟の考え方は、柳宗悦の民芸運動の理念に大きな影響をあたえています。
日本の植民地支配の時代にあって、朝鮮語を自ら学び、話し、朝鮮民族の文化を尊重し、人々と奢ることのない交流をもった巧は、1931(昭和6)年、40歳の若さで朝鮮の土となりましたが、今もソウル市忘憂里(マンウリ)にある墓は、彼を慕う韓国の人々によって守られ続けています。
当時の朝鮮半島と日本は、日本が朝鮮半島を統治するという、不幸な関係にありました。そんな時代の中で、兄の伯教は、朝鮮陶磁史の研究にその生涯を捧げ、弟の巧は朝鮮の山と工芸、そして朝鮮の人々を敬愛したことで、人々の心の中に深く刻まれ、今にいたるまで語り継がれることになりました。
伯教は、朝鮮半島に渡ったのは、1913(大正2)年。学生時代に甲府で、朝鮮の美術に魅了されたのがきっかけでした。
半島では700箇所にも及ぶ朝鮮王朝陶磁の窯跡を調査しました。陶磁器の時代的変遷を明らかにした研究成果は、朝鮮陶磁史の基本文献としてまとめられ今日に至っています。
弟の巧は、兄を慕って翌年に半島に渡り、林業技師として荒廃した山々の緑化に奔走します。そのかたわら、兄とともに「朝鮮白磁」をはじめとした朝鮮陶磁の研究に心酔し、名著『朝鮮陶磁名考』を書き残しただけでなく、木工芸品の中に民衆芸術の美を見出し、優れた文化として日本に紹介しました。
兄弟の考え方は、柳宗悦の民芸運動の理念に大きな影響をあたえています。
日本の植民地支配の時代にあって、朝鮮語を自ら学び、話し、朝鮮民族の文化を尊重し、人々と奢ることのない交流をもった巧は、1931(昭和6)年、40歳の若さで朝鮮の土となりましたが、今もソウル市忘憂里(マンウリ)にある墓は、彼を慕う韓国の人々によって守られ続けています。
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