【開館時間】10:00~17:00(入館は16:30まで)
観覧料】 大人210円  小中生100円
20名様以上の団体料金 大人100円 小中生50円

浅川伯教・巧兄弟資料館 (アサカワノリタカ・タクミ キョウダイシリョウカン)
〒408-0002
山梨県北杜市高根町村山北割 3315
   (ホクトシ タカネチョウ ムラヤマキタワリ)
電話:0551ー42ー1447
FAX: 0551ー47ー4784

2010年11月13日土曜日

金素月さん


閉館後、お客様が韓国の歌を披露して下さいました。
「チンダルレ コッ」という曲だそうです。
「つつじの花」という意味。

詩は金素月(キム・ソウォル)さんのもの。
金素月さんは今から約100年前に
朝鮮の平安北道で生まれ、
20歳で忽然と現れ、植民地時代に

多くの詩を発表しました。
しかし、詩人として歴史の表舞台に現れたのは短く、


32歳で自ら命を絶ちました。

流れるような朝鮮語を用い、
独自の律調で情と恨(ハン)を表現した彼の詩は
当時大変な脚光を浴びました。

現在でも、圧倒的な知名度と
人気がある詩人だそうです。

1923(大正12)年に日本に来ていますが、
9月におきた関東大震災のため帰国。
9月の巧さんの日記には、
震災時の朝鮮の人々を擁護する内容が綴られています。

2010年11月3日水曜日

小学生の疑問から

先日、高根西小学校の6年生の皆さんがいらっしゃいました。



▲片手にはノートが。みんな手が動いています。



少し難しかったかもしれませんが、

最後までしっかり聞いてくださいました。


質問コーナーでは

『巧が住んでいた京城までの所要時間と運賃はどのくらいか?』

との質問が寄せられました。



確かに気になるところではないでしょうか。



巧さんの日記の中でも、しばしば日本から

友人が訪ねてきたことが綴られています。

飛行機が無い時代、

朝鮮がどのくらい遠い場所であったかご紹介しましょう。



当時、東京から下関(山口県)までは、

鉄道で約22時間ほどかかりました(急行利用の場合)。

ほぼ一日がかりですね。



長い長い電車の旅が終わると、

今度は釜山へ向かわねばなりません。

船に揺られること7時間30分。



釜山で下船すると、再び鉄道の旅がはじまります。

約7時間後(急行利用の場合)に

ようやく京城(現ソウル)に到着です。



いかがでしょう。

現在では、飛行機でひとっとびですから、

感覚の違いは否めませんね。



※上記の所要時間は、1939年(昭和14年)

巧が亡くなった8年後のデータです。

(『満州朝鮮復刻時刻表』より)



柳宗悦は

4月1日の夕に電報で巧の病状を知り、

その日のうちに京都を発ちました。

翌晩、汽車の中で巧の訃報を聞き、

3日の朝に京城に到着しています。



最後に、運賃は現在の価値で、

片道約50,000円台と推定されます。

長旅の末、再会した友人とは、

さぞ会話が弾んだ事でしょうね。